今日は
「元総理の池田隼人氏の言葉」
に触れていきたいと思います。
池田隼人元総理は
「3人の心友を持つ必要がある」
と口癖のように言っていたそうです。
そのうちの1人が
「ジャーナリスト」
です。
なぜジャーナリストかというと
「情報」
という観点で重要だということです。
「トップに立つと快い情報しか入ってこなくなる」
これは総理に限ったことではなく、大きな組織のトップにも当てはまるかもしれません。
ジャーナリストというのは
「醒めた目で突き放して眺め、直言することができる」
という点で重要ということです。
「いい情報だけ=偏った情報」
では判断を見誤ります。
これは私たちにも当てはまるのではないでしょうか?
「目の前の状況を都合よく捉えてしまう」
ということはありませんか?
部下からの報告も
「いい情報としてあがってくるかもしれません」
本当はその案件は
「停滞している」
にもかかわらず
「前進している」
と報告がされていることは、どの組織でもあるはずです。
事前準備をすればするほど
「良い結果としてとらえたくなる」
というのは人の心理です。
「これだけ時間をかけたのだから、良い結果でありたい」
という心理が先行してしまうものです。
当たり前のように
「悪い結果を検証せずに次に進んでしまう」
こういうことを繰り返してはいませんか?
この傾向は
「PDCAサイクルセミナー」
でもよく見受けられます。
私たちは
「快くない情報を受け止める」
そういう意識が必要かもしれません。
そこから気づくことはたくさんありますからね。
またマネジメントにおいても
「マネージャーに悪い情報が先に届く」
環境を整備する必要がありますね。
「悪い情報が自分の耳に入ってこないのは、自分の責任」
という意識を持つ必要があるかもしれません。
管理職のあなた「その報告はいつ届きますか?」(2017年2月7日)
話しをジャーナリストに戻します。
ジャーナリストに対して
「行為せざる者」
と表現をしていました。
この行為せざる者は
「最も過酷な批判者」
とも言っています。
少し前ですが、私の周りにもこういう人間がいました。
「情報だけは持っていて、批判ばかりしている」
こんな評論家気取りの人間です。
「あれは●●だからだめだ」
「あれは▲▲だから失敗する」
「あれは■■だから大したことない」
自分の周りにだけでなく、顧客訪問した時にも同じことを繰り返す人でした。
「何のために情報を集めているんだろう?」
ずっと疑問に思っていました。
皆さんの周りにもこのような
「評論家・ジャーナリスト気取り」
はいませんか?
行為せざる者は
「火の粉を被ることはない」
と言っています。
そしてその者は
「火の粉をかぶって行為している者の痛みは分からない」
ということです。
「行為すること」
は火の粉をかぶりに痛みを伴うこともあります。
ただそうしなければ前に進むこともできないですね。
やはり傍観者ではなく
「当事者意識」
をもって行動することが大切ではないでしょうか?
ちなみにこの記事ではジャーナリストや評論家の方を否定しているわけではないですよ(笑)
少しとがった表現を引用したので、そんな印象を与えてしまったかもしれません。
誤解がないように補足しておきますね。
レゾンデートル株式会社 ~行動創造理論~
齋藤